D750 + AF-S Nikkor 50mm f/1.8G
ドリフターズのメンバー、国民的なコメディアン。
喜劇王とタイトルもついた、「志村けん」が新型コロナウィルスにより死去。
70歳と若い死だった。
俺の年代では、少年時代のドリフターズを思い出す。
「バカ殿」はその後の話だ。
これもすでに無くなった「いかりや長介」との掛け合いは絶妙だった。
ボケた志村にいかりやが即突っ込む。
スリッパなどで頭を叩くこともあり、うるさいPTAのオバさんが子供に見せるべきものではないと騒いだこともあった。
ドリフターズで覚えているのは、いかりや長介、荒井注、高木ブー、加藤茶、仲本工事。
「8時だよ全員集合!」だ。
全国をまわり、大仕掛けの舞台の生放送で子供達に大人気だった。
幽霊屋敷のコントでは、客席を向いた志村の後ろに幽霊が出てくると、客先の子供から「志村後ろ〜!!!」と声がかかったものだった。
馬鹿馬鹿しいと思いながらも、欠かさずに見たな。
ビデオなどがない時代だから、家族全員で見ていたことになる。
時折見せる、おそらくは台本にないギャグは大人である親父も思わず笑っていた。
志村けんはそのとき付き人だったらしく、たまに出てきて面白いことをやる若手だった。
それがそのうちレギュラーメンバーになり、キャラクターも確立したのだったと思う。
「東村山音頭」が有名になった。
股間に白鳥の首から先がついたコスチュームは、何とも下品だがそれがよかった。
加藤茶との「ヒゲダンス」が好きだったな。
距離をおいて生卵を投げてキャッチするようなトライアルをやってた。
見事成功したときの志村のドヤ顔が面白かったな。
コメディーにかける情熱は並々ならぬものがあったのだろう。
ヘビースモーカーであった様だが、数年前に病気を境に禁煙していたのだとか。
でも長年の芸能界生活によるストレスは、計り知れないものがあったのだろう。
テレビでタレントたちが多くの悲しみを表明しているところを見ると、いかに偉大であったかよくわかる。
ご冥福をお祈りする。
追記
その後の報道を見ると、やはり相当な努力家であったようだ。
レンタルビデオ屋が開けるほどのたくさんのコメディー映画やドラマを所蔵し、勉強に勉強を重ねていたようだ。
お笑いと言うものに対して真剣に向き合い、常に向上心を持った姿に、多くの芸人が感動し賛同していたのだと思う。