D5600 + AF-P DX NIKKOR 18-55mm
今週のお題「平成を振り返る」
「ご崩御」なる、聞いたこともなかった単語が、八畳1DKの俺の部屋のブラウン管14インチテレビの画面一杯に映り、平成が始まった。
リーマンショックあり、関西や東北の大震災もあったが、平成はITが劇的に進化した時代だったと思う。
平成元年当時、インターネットなるものはまだまだ一般企業でも普及ができておらず、パソコンなんかも会社でようやく二人で1台の状況だった。
携帯電話はバッテリーをショルダーがけして持ち歩くタイプ、俺も当然そんなものは持っておらず、一人暮らしの部屋に7万円以上もかけて電話の権利を買って留守番機能も何もないがおしゃれな感じのプッシュホンがあった程度だった。
情報源はテレビか雑誌。
もしくはその場に出かけていくしかない。
通販などというものはテレビショッピングがあったかな?程度。
銀行ATMも土曜日はやってなかったから、金曜日に残業なんぞしてATMからお金を引き出せなければ、現金が底をついて途方にくれた。
それがそのうちインターネットなるものが普及し始めた。
最初はパソコンで限られたサイトを見るためのブラウザ「モザイク」。
検索サイトの「千里眼」なんてものもあったな。
でもいろんな情報がパソコンで見ることができるようになるなんて夢のようだった。
しかし、通信はアナログだったな。
「モデム」なるものに電話線を指して、パソコンからプロバイダにダイアルアップして接続、そこでようやくインターネットが使えた。
いまのようにWifiなどはなく、全てが有線。
スピードも格段に遅くゆったりとした感じだった。
そういえば上に書いたテレビも変わったな。
一人暮らしなら、ブラウン管の14型が定番。
結婚して21インチのブラウン管のテレビを買った時は、大きいな〜と思ったもの。
当然、通信の機能なんてものはなくて、同軸ケーブルのアンテナ線をつないだのみのものだった。
そうそう、録画はビデオテープ。
VHSのデッキがあったな。
あ、子供達を録画したのは、ソニーの8ミリビデオだったぞ。
スマホなんてものは概念すななかった。
平成10年をすぎたあたりから、自分のスケジュールをスマホのような大きさの端末で管理するようなことが始まった。
先見の目がある人は、早晩「電話」にそんな機能が付加されると言っていた。
俺はそんな端末に電話機能が付加されると思っていた。
スマホが出た当初、iPhoneは衝撃的だったが、はやり電話中心でソフトウェアが付加されたような形だった。
しかしいまや電話機能はついていて当たり前で、むしろそのほかの機能のほうが拡充している感じがする。
そういう意味では、俺の方が先見の目があったのかもしれない。
そういやそのまえにiPodの衝撃もものすごく大きかった。
独特でおしゃれなデザイン、持っているだけで意識が高い系だった。
それまではCDウォークマンだったから、何百曲も持ち歩けること自体が画期的だった。
その機能が欲しくて、iPod Nanoを買ったな、そういえば。
結局iPhone-3GSを買ったのも、多くの曲を持ち歩けることが動機だった。
令和になるこの時代、全てが大きく様変わりしている。
俺の家にあるテレビもアンドロイドテレビだし、スマホも何台目かのiPhoneだ。
音楽はiTunesからストリーミング配信だから、もはや曲数の制限もない。
それ以上に、スマホさえあればとりあえず現金がなくても過ごせる時代になった。
新幹線にしても東海道なんかはネット予約の上、スマホをかざして改札を通れるのだから、関東から関西へ丸一日の出張程度なら現金不要な状況だ。
こうやって書いているブログの機能もどんどん進化している。
令和の時代はさらに進化するだろう。
これまでの進化のスピードなんかとは比べ物にならないぐらいに。
なんでも豊かになるのはいいが、どこかでアナログな部分を残しておきたいなと思うのは、オジサン世代だけではないと思う。